イタズラ好きなこの手をぎゅっと掴んで離さないでね?


「特に痛いとかは無いんだが…。」
 ジェットは、再度首筋に手を当ててからまた首を傾げる。
覗き込んだトッドも、顎に手をやり首を傾げた。
「少々紅くなっている膨らんでいる気もいたしやすが、大事ありやせんぜ。虫に刺されたとしても、ここいいらには病気を媒介するものはいないはずですし。」
「そうか…。」
ジェットは短くそう答えると、作業に没頭しだした。

正確に言うと没頭しようとした。 トッドの言葉尻が、あるものを思い出させたのだ。

 それは ジェットの脳裏に浮かんだのは、ヴァージニアの柔らかな唇の感覚。彼女のぷっくりとした頬と同じように、彼女のそれは柔らかかった。
薄く紅に染まった、ふっくらとした彼女の唇。
昨日は泣き顔を見た。それ以上の笑顔を見た。そして、図らずも重ねてしまった唇。
こういう感情を『愛おしい』と呼ぶのだろうか。
理屈でいくら考えても、ジェットには理解出来なかった。理解していなかったはずだが、体が動いて彼女を求めた。それとも、知識としてあのおっさんが予め刷り込んでいたとでも言うのだろうか…。

 うげっと舌を出す。それでは、ギャグにしかならない。

ま、あそこにスケベ本が隠されていた事を考えれば、その可能性がゼロにはならない。とクライヴなら言ったかもしれないが。

   しかし、幸いな事にそれで、頭の中の邪念を振り払う事が出来た。
 黙々と作業を続けるジェットをうっとりと見つめるアルフレッドの横から、マヤはそれを見つめていたが、クルリと振り返ると両手で口元を覆った。
『楽しい!!!!』
 心の叫びを声に出しそうになり、ぶぶーっと噴出しそうになるのを必死に堪える。彼女の瞳は、完全にアーモンドの形になっていて、悪戯を企んでいる猫の目つきによく似ていた。
 こんな『楽しい出来事』が空から舞い降りてくるとは思ってもいなかった。近頃の自分は倦怠期の夫婦の様に不調だ。
なんたって、心躍らせる宝石の類が、無い。そこそこの物なのだが特上じゃあない。それじゃあ。駄目なのだ。

 そこに、最上級のおもちゃが降ってきた。おまけにその仕掛けはしっかりと自分の手の中だ。

 他人の不幸は蜜の味とは良く言ったもので、ヴァージニアの悔しそうな顔を見る度に、胸元から込み上げてくる熱い物に唇が震わされる。腹が捻れる。目尻に涙が浮かびそうになる。
 本人同士が、まどろっこしいのが又良い。
周りは気付いていないだろうなどと、ふざけた気持ちを抱いているのが堪らない。
 からかい甲斐があるとは、まさしくこの状況だった。
この場所で、特上の宝石が手に入るといった情報は嘘ではない。しかるべきところから、しかるべき手段を踏んで手に入れたものだ。その情報自体が『ガセ』だったとするのなら、別の話にはなるけれど、お宝が欲しいのも本当だった。
 しかし、万が一そのお宝が、一級品が二級品になり、二級品が三級品になったところで、マヤには気にならなかった。

 美味しすぎる!

 嗚呼もう神様、日頃の行いがいいとこんな楽しい事もあるのね。とマヤが自分に讃辞を送っていた。
 しかも、あのヴァージニアがこのまま黙って彼の帰りを待つわけが無い。この先にも起こるであろう楽しい出来事に、マヤは背中を震わせた。

「お前の姉は、悪いものでも喰ったのか。」
 ボソリと呟くジェットの言葉に、いえ普通ですとは流石に返せないアルフレッドだった。



 マヤがこの世の天国を味わっている、正にその時、チームヴァージニアは、この世の地獄に遭遇していた。
 うっかりと付けたジェットの発信器は、正確に場所を伝えてはいたが、便利なナビゲーション機能など付いているわけがない。

「右に曲がりますvv
 出会い頭にはい寄る混沌。それを過ぎるとあり地獄でございます。」

…などと言われても困るだろうが、知らずに足を踏み込めばよけいに困る。
 普段なら、どんなにお気楽なこのチームも多少の情報収集とアイテムの補充と整備等やってから出掛けるものなのだが、今回に限り正に出たとこ勝負。おまけに、逃げようにも先手をとってくれるジェットもいない。
 お気楽娘のヴァージニアでさえ、ちょいと困ったちゃんな顔になっていた。

「…俺達なんで、こんな事してんだ?」
 太っとい眉毛を中心に寄せて、ギャロウズはその暑苦しい顔をクライヴに近付けた。急に呼ばれて、無防備に振り返ったクライヴの無精ひげがギャロウズの頬をゾリッと撫でる。
『!!!!!!!!!!!』
 声にならない悲鳴を上げて、ギャロウズは飛びすさった。両手で頬を押さえて、目尻に涙が浮かんでいる。
「すみませ〜ん。今朝は、本当に髭も整えてないんで。」
 申し訳なさそうに頭を掻くクライヴに、ギャロウズは化け物を見るような目つきで見つめた。 「…もう、疲れてるんだから無駄に騒がないでよ〜。」
 ぐーっとなったお腹を抱えてヴァージニアは、その場に座り込んだ。
「朝食も食べてないんだぁ。」
「そういえば、俺達もだよな。」v  大きく鳴り出した腹の虫に先程の恐怖体験は払拭され、ギャロウズも朝飯、朝飯と騒ぎ出した。
 ゾリゾリと手で顎の感触を確かめながらクライヴも眉間に皺を寄せる。
「仕方ありませんね。どうします?一端帰りますか?」
 クライヴがそう口にした途端、恨みがましい視線が彼を襲う。
自分を睨む痛い視線に額に汗を滲ませて前言を撤回した。
「現地調達するしかないですよ。」
「だよね〜。」
 返事と共に、微笑んだヴァージニアは、クライヴにジェットの位置を確認する。今は同じ場所で止まっているらしいという答えに、食料調達を実行にうつすべく動き出した。
「火を付けておく人と、食料調達の人2:1でジャンケンよ。」
 ヴァージニアの言葉に、ギャロウズ、クライヴ共に首を横に振る。
「私達が行きましょう。」
「そうそう、リーダーはここで待っててくれよ。」
「え?でもそんなの悪いわよ。やっぱり此処はジャンケンで…。」
 リーダーとしての責任感は、こういう時にこそ発揮されるべきだと言わんばかりの張り切り様だったが、なんとか二人に説得された。
 『え〜』とか『でも〜』とかを繰り返すリーダーには、取りあえず此処で待ってくれと告げて走り出した二人は、同じ方向。
「旦那、何を考えてる?」
「そうですね。多分貴方と同じ事ですよ。」
 顔を見合わせ、にっこり笑顔。二人の足はハンフリースピークへと向かっていた。



「足場が悪いぞ。」
 ボゾリと呟いたジェットの言葉を聞いていたのか、いないのか。その後ろからスキップをしていたマヤの足元に突然ぱっくりと穴が空いた。
「なによこれ〜〜〜!!!!!」
 両手でスカートを押さえながら、悲鳴をあげれば可愛げがあるものの、中年親父も真っ青の怒鳴り声を上げながら落ちていく。見る間に彼女の姿は暗闇に吸い込まれていった。
「…。」
 ああ、落ちたな。
 ジェットとトッドとシェイディの顔にはそう書かれていた。その事について、特別にコメント等も無い。さて、どうするか…も無い。
 ああ、落ちたな。それだけである。

「ねねねねねね、姉さん!?」
 しかし、落ち着き払った三人分のパニックをまるで独り占めにしたようなアルフレッドが、青い顔で穴を覗き込む。それなりに深さもあるようで、罵倒する声も聞こえなければ、姿を見る事も出来ない。ふふふ…と弟が不気味な声で笑い出したのを見て、どうやら不味い事になったようだと、二人と一匹は顔を見合わせた。しかし、そんな事はお構いなしで少年は火薬を取り出すと、にっこりと笑う。
「姉さんが暗くて見えないや〜明るくしなくっちゃ。」
 そして、さっさと導火線に火を付けだした。
「何やってんだお前は!?」
「坊ちゃん!!!」
 トッドとジェットが飛び掛かるよりも早く、それはアルフレッドの手を離れて穴に落ちていく。
 暗闇の中で微かな光が一瞬白くなったかと思うと、地鳴りがした。大きく洞窟が揺れる。
「不味いですぜ、ジェットの旦那。」
「わかってる。」
 数分後に一応揺れは収まったが、これでまた地盤はさらに緩んだに違いない。進むのも危険、留まるのも危険だ。
「どうかしましたか?」
 火を見て、平常心を取り戻したアルフレッドにジェットが殴りかかった瞬間、空から何かが振ってきた。
 それに押されたジェットと、悲鳴を上げていた何か…が、マヤの落ちた穴に転がり落ちていった。

「あれ?ヴァーニジアさん?」
 下を見て、上を見上げた三人は、洞窟の天井に大きな穴が空いているのを見てから、また下を向いた。

 そして、『どうしよう。』と、そう言い出すものさえいなかった。


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